ジャニーズ事務所

SMAP独立騒動の謎。木村拓哉は2015年のいつジャニーズ事務所残留を表明した?

こんにちは、今回は2016年8月のSMAP解散の前に起こった、2016年1月の「SMAP独立、分裂騒動」の謎についてです。

木村拓哉がどの段階でジャニーズ事務所に残留を表明したのか、というのが諸説あり、これが木村が「裏切り者」なのか「はじめからジャニーズへ忠義を示していた」のかによって大きく木村の評価が変わってくるはずです。

大手週刊誌である「週刊文春」と「週刊新潮」で説が違います。

週刊文春は2015年8月から一貫してジャニーズ事務所へ木村は残ると言い続けた、と言います。

逆に、週刊新潮は木村拓哉は2015年の紅白歌合戦直前に木村拓哉はSMAP独立に賛成から一転、態度を翻しジャニーズ事務所へ残留した、と報道しています。

どちらが本当なのか。

もしくは、どちらも真実を表していないのか。

誰も真実を語らなかった以上答えがどちらかは分かりませんが、それでも残念ながら週刊新潮の説の方が信ぴょう性が高いと思います。

木村の親友である明石家さんま自体が「(木村が一旦独立へ同意後態度を翻した)報道がほとんど正しい」と言っているからです。

ただし、さんまは「俺は木村派」と言っており、そうせざるを得ない何らかの事情が生まれた可能性もあります。(さんまはみんな正しいからたちが悪い、とも語っています)

また、中居正広の動きを見ても、2015年9月までは実はSMAPはジャニーズ事務所へ残留で同意(もしくは納得せざるを得なかった)という可能性が割とあります。

木村の翻意なのかどうかは分かりませんが、2015年の年末にSMAPの事情が大きく変化する何かがあったのは間違いないでしょう。

詳しく見ていきましょう。

 中居正広は2015年9月には「舞祭組」のアルバムプロデュースを公言していた。ジャニーズ独立ならばありえない仕事?

 

実は中居正広は2015年9月に「舞祭組」のアルバムプロデュースを明言していました。

これは一体どういうことでしょうか。

2016年にはSMAPが独立が決まっていたのであれば、ジャニーズ事務所の後輩である舞祭組の面倒を見ることはできないように思います。

A、2015/9月時点ではSMAP独立騒動は一旦終息していてジャニーズ事務所残留が決定していた。

B、SMAPはメリー副社長も同意し、ジャニーズ事務所傘下の別子会社へ完全移籍予定でのれん分けのつもりだった。

Bに関しては、2016年1月にSMAP独立騒動が持ち上がった瞬間には井上公造氏をはじめ、複数の芸能ジャーナリストが「SMAPは傘下の子会社に円満移籍と聞いていた」と言っています。

しかし、2016年1月前後にはタモリが所属する「田辺エージェンシー」の田辺氏がメリー氏に「4人(木村以外のSMAPメンバー)を許してやってほしい」と言ったとか。

これはSMAPが田辺エージェンシーに移籍予定だったというのが理由ですが、(木村がいないSMAPは引き受けられないとのちに拒否)この矛盾は何なのでしょうか?

SMAPが実はタモリの事務所に移籍をしようとしていた、という記事は長くなるのでこちらからどうぞ。

実は矛盾していないんです。

実はSMAP独立騒動は2回あり、夏頃はジャニーズ事務所の傘下へ、年末にはジャニーズ事務所から独立して田辺エージェンシーへと移籍しようとしていた、と言われています。

これは非常に重要な事実です。

何故、夏に頓挫したのでしょうか。

ここで木村がジャニーズ事務所へ残留を表明していれば、年末にまた独立を拒否しても矛盾しません。

では、4人と木村に溝が生まれたような「SMAP×SMAP」の光景は何だったのでしょうか。

やはり、どこかの段階で木村は一度は独立に賛成していた、と考える方が筋が通ってしまうんですよね。

Aであれば、何故その後急に状況の変化が起こったのでしょうか?たった3か月で独立、独立失敗、分裂とそこまでことが進むのでしょうか。

これに関しては長くなるので別記事で考察しています。

 田辺エージェンシーの田辺会長がメリー副社長に語った「4人(木村以外)を戻してやってくれ」という言葉の意味。

 

4人を戻してやってくれ、というのは、ジャニーズ事務所からも放り出されて、田辺エージェンシーにも移籍できず中居、稲垣、草彅、香取が放り出されたということになります。

何故、彼らは所属事務所が無くなったのでしょうか?

木村を置いて4人で飯島マネージャーと独立しようとして失敗したのであれば、宙ぶらりんになることはないのではないでしょうか。

田辺は「木村のいない4人のSMAPであれば受け入れられない」と5人のSMAPでなければ大手ジャニーズ事務所に歯向かうメリットはないと突き付けたとか。

であれば、田辺会長は当初は木村も含めた5人のSMAPが移籍してくるのだと理解していたことになります。

2015年末に木村がジャニーズ事務所残留を突如決めた。そう考えるのが自然でしょう。

2015年11月には現在では稲垣、草彅、香取のプロジェクト「新しい地図」が務めるパラリンピックスペシャルサポーターに「SMAPの就任」が決定しています。

(元SMAP独立組が地上波復帰できた要因として、パラリンピックを司る日本財団の存在があります。会長はSMAPと特別な関係にあり、安倍首相も参拝にくるとか。詳細記事はこちらからどうぞ。

これは11月にはSMAPが分裂、解散する可能性があれば断られていたのではないでしょうか。

木村が何故か2015年11月にはライバルだったはずのジュリー氏の「Jストーム」傘下にいた、という記事はこちらからどうぞ。

11月にはSMAPのパラリンピックスペシャルサポーター就任が決定していますが、何故こうなったのでしょうか。詳細を語っています。

 

 結論

 

木村はどこかの段階でSMAPのジャニーズ事務所独立に同意しながら、年末にはそれを翻したと見るのが自然です。

ただし、それをもって木村の「裏切り」とするかは分かりません。

独立に同意した時点ではわからなかった、独立が失敗する要因が発覚した可能性もあります。

しかし、それならば中居ら4人(特に中居以外の3人)があれほど怒っていたのは何故なのか。

木村側と稲垣、草彅、香取、中居の間に何らかの「齟齬」が生じていたのは間違いないでしょう。

 

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