こんにちは、Showです。
今回はSMAPの曲やグループについて語っていきたいと思います。それが、このような解散劇を招いてしまったのかもしれないという話です。
・最初期のキラキラアイドル路線は全く売れず。
・大人っぽい路線である10$から徐々にブレイク。
・ジャニーズの中でも孤高の存在へ。
早速みていきましょう。
最初期のキラキラアイドル路線は全く売れず。
デビュー曲「CAN’T STOP!! -LOVING-」はジャニーズの中では異例のオリコンシングルチャート初登場1位を逃してしまい、その後もオリコンランキングは5位以下ばかり。
当初は事務所も光GENJIが勢いを失ってきていた頃だったので、後継者としてキラキラアイドル王道路線にしようと考えていましたが、全く売れなかったわけです。
光GENJIで飽きられていた上に、SMAPの雰囲気は王道のキラキラ王子様チックな感じではなかったので売れなかったんでしょう。
大人っぽい路線である10$から徐々にブレイク。
しかし、10$でちょっとエロティックな大人っぽい世界観にした途端プチブレイク。元々、中居、木村、森は王子様というよりも男らしい雰囲気でしたから雰囲気に合っていたのでしょう。
余談ですが、当初はアイドルらしい雰囲気で売りたかったので稲垣吾郎を推していた事務所も、木村拓哉があすなろ白書でブレイクして以来は彼をセンターとして抜擢するようになりました。(ジャニーさんがお気に入りだったのが稲垣吾郎、そしてメリーさんがSMAPのセンターとして推していたのが森且行だったそうです)
その木村拓哉はセクシーかつ男前という路線で売れていったので、SMAP全体のイメージもそちらに合わせていくことで人気が上昇したのでしょう。
現に全盛期であった1998年頃でも曲によって売上にかなりの差があるのがSMAPの大きな特徴です。アイドルっぽいPOPソングだと全然売れていないんですね(笑)
木村の人気上昇によってグループの知名度が上昇したこともありますが、それ以上に路線の変更、楽曲のかっこよさの上昇はSMAPブレイクには大きかったでしょう。
それが一般層への普及につながりました。
当時、アイドル路線の「心の鏡」や「笑顔のゲンキ」や「はじめての夏」などの曲が全然売れなかったので、CDの担当者は思い切って大人っぽい路線の「10$」でCDを出させてくれないか、と自分の首をかけて事務所に嘆願したそうです。
それがあって、大人っぽく楽曲もかっこいいSMAPのイメージが生まれたんですね。(TOKIOの城島茂はSMAPのようなかっこいい楽曲が歌いたくて当時は嫉妬していたそうです。)
ジャニーズの中でも孤高の存在へ。
そして、そのジャニーズの中でも異質の路線は「孤高で尖っている」SMAPのイメージも生み出します。
また、当時は飯島マネージャーが同じジャニーズと無闇に絡まないようにして「ブランディング」を進めていました。これによって、「他のジャニーズとは違う」という明確な色が生まれ、それがSMAPを一層魅力的にしました。(MステでもSMAPだけ他のジャニーズとは楽屋が別、カウントダウンコンサートやJFriendは不参加と言った)
しかし、それがSMAP解散の遠因となった可能性も否定できません。
何故なら、そういった他グループを寄せ付けない姿勢が「派閥」と呼ばれてしまう危険性を秘めるものだったからです。元々、TOKIOを売り出したかったのが事務所で、SMAPは事務所の「傍流」だったわけです。
また、SMAPだけが売れている頃がなら良いですが、そこから嵐がブレイクしたことで対立が生まれてしまいました。
もちろん、SMAP単体では派閥もくそも無かったのですが、ジャニー社長が飯島マネージャーにKis-my-Ft2の面倒を見てくれるように頼んでから更にこじれて、それが飯島マネージャーvsジュリーメリーにつながっていくんですね……。